SSブログ

多摩川河川敷の野球と言えば伝説の巨人軍多摩川グランド [スポーツ]

多摩川河川敷での野球で
思い出すのが伝説の巨人軍多摩川
グランドです。


20日午前6時15分頃
川崎市川崎区港町の多摩川河川敷で
男性が全裸で既に死亡したニュース
があります。

ちょっとショッキングなニュース
ですよね。


暗い話をおいておきまして多摩川河川敷
の野球って言えば、巨人軍の有名な
練習場があります。


それは通称多摩川グランドと呼ばれ、
正式名称は多摩川緑地広場硬式野球場と
いいます。場所は東京都大田区で
多摩川左岸側河川敷内にある
多摩川緑地広場の中にあります。


スポンサードリンク






1950年後半から1980年代中盤に
巨人軍のファーム(2軍)の本拠地球場と
練習場となっています。

ちなみに現在は草野球や少年野球用に
利用されています。


1955年当時、建設省から巨人軍が敷地を
借り、グラウンドの整備を行った上で
付属の施設建設し、使用をしています。


巨人のV9時代(1961年~1974年)の中心
メンバー(森祇晶、長嶋茂雄、王貞治、柴田勲、
土井正三、堀内恒夫、高田繁)といった名選手も
この球場で練習を行い、さまざまな伝説が
生まれています。

尚、選手たちの合宿所はこの野球場から近く
丸子橋にありました。


長年使用していた中では天候のアクシデント
があり、河川敷ならではです。

1974年9月1日に台風16号の影響で、
グラウンドが水没し、この時は約1ヶ月間
使用できなくなりました。

また1982年の8月2日の台風10号が
あった時にはは約3週間使用できなく
なっています。

ベンチまで流され、グラウンドがヘドロ
まみれになるなど、この時の被害総額は
なんと当時の金額で3000万円以上
となったようです。

この年は当たり年でさらに9月の台風で
も水没しているようです。


スポンサードリンク






1985年10月、よみうりランドの敷地内ある
読売ジャイアンツ球場など球団施設が
完成したことでこれらの施設は使用され
なくなりました。


その後も巨人軍の選手は時折トレーニング
に使用するなどしていましたが、1998年3月
末に国との借用契約が終了したことで
グラウンド及び施設を国に返還し、この
施設の歴史に幕が閉じました。


3月18日には、巨人の一軍全選手が
巨人軍多摩川グラウンドお別れイベント
として最後の練習を行っています。

3月22日には、巨人OBなどによる
お別れセレモニーが行われ、OBによる
紅白戦が行われました。
尚、この時は藤田元司さんがピッチャーを
森祇晶さんが捕手を務めています。


2013年5月9日に巨人二軍の練習が
1日限定で守備練習のみ特別に行われて
います。

その時はお別れセレモニーを行った
当時の一軍監督である長嶋茂雄さん
も視察に訪れているようです。


スポンサードリンク




Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。